聖王山法明院円泉寺は、文禄4年(1595)、賢恵大和尚によって現在地に開創されたと伝えられていますが、その草創はさらにさかのぼり、遅くとも南北朝時代末期(〜1392)のころには、太子堂ならびに小堂(円泉寺の前身・円泉坊)が結ばれていたものと推察される。円泉寺周辺には、鎌倉時代の口承も多く、郷土史家の研究によると、太子堂村の初期的な集落は「鎌倉時代から南北朝時代に形成された」といわれている。この集落の形成と同時に聖徳太子像が安置され、別当として円泉坊が草創されたとみるべきである。かって円泉寺が別当をかねていた太子堂村の鎮守・八幡神社もこのころの勧請とおもわれる。言い伝えによると「賢恵僧都が大和(奈良県)の久米寺から聖徳太子像と十一面観音像を背負って関東に下り、文禄4年(1595)、当地に一泊したとき、夢の中に聖徳太子が現れて、この地に安住することを告げたので、十一面観音像を安置する本堂と、聖徳太子像を安置する太子堂を建立した。いらいこの地が拓かれて太子堂村と呼ばれるようになったといわれている。
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