当院は開山当時半蔵門にあったが、江戸城構築に際し、牛込市ヶ谷田町に転じ、さらに牛込柳町に移り明治43年にこの地に移る。寺宝の千手観世音は木像で、高さ3尺3寸子育観音と号し、第60代醍醐天皇の御代延喜元年に右大臣菅原道真公が筑紫へ左遷のみぎり自ら刻みて供養礼拝した。その後久しく筑紫の千手坊にあったが、縁あって中野宝仙寺の14世秀雄法印に預ける。秀雄法印は中野宝仙寺より、光徳院に転住となりこの尊像を守護して一宇を建立し安置した。この時より諸人の参拝を許すようになった。平成7年に落成した五重塔は、木像瓦葺きで造られ、仏塔愛好家が全国から参拝にみえる。
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